はちみつの歴史
はちみつが作られたのは、いつから?
甘くておいしい「はちみつ」。
みなさんのご家庭にもたいがい常備されているのではないでしょうか。
そのまま舐めてもよし、料理に使ってもよし、とにかく便利なはちみつ。
そんな身近なはちみつについて、意外と知らないことが多いのではないでしょうか?
実は歴史的にも、奥の深い食べ物なのです。
今回ははちみつの歴史についてまとめてみました。
古代のはちみつ
はちみつの歴史は人類の歴史!?
イギリスにある古いことわざに、こんなことわざがあります。
「The history of honey is the history of mankind.(はちみつの歴史は人類の歴史)」。
何だか大げさじゃないの…?と思われるかもしれませんが、
それくらい人類の歴史にははちみつがかかせなかったのです。
ミツバチって実はすごい?!
みつばちが地球上に現れたのは約2千万年~1千万年以上前にさかのぼります。
人類の誕生が数百万年前ですから、私たち人間よりも実はずっと歴史が古いのです。
さらにみつばちは世界の作物の1/3を受粉していると言われています。
このことからもミツバチがいかに人間にとって重要な生き物であるかがわかるでしょう。
はちみつへの関心 ミツバチへの恐怖
人類は当初、野生のミツバチの巣からはちみつを採取していました。
スペインのアラニア洞窟では片手に籠のような容器を持って縄梯子を登って天然の洞窟に近づき、
はちみつの採取を試みている人物が描かれているのが発見されています。
この絵は洞窟とミツバチが大きく描かれており、
はちみつへの大きな関心とミツバチへの多大な恐怖を表しています。
養蜂のはじまり
意外!?エジプトとはちみつの深い関係…
古代エジプトの壁画から発見されたレリーフには、
紀元前2600年前にはすでに養蜂が行われていたという、世界最古の証拠が残っています。
そこに残されていた象形文字を解読すると、ミツバチを煙で大人しくさせ、
切り取った巣を圧搾して採蜜し、かめに詰めて封印する技術が記されています。
古代エジプトでは有力者への貢ぎ物や王墓の副葬品のリストにもはちみつが載せられていましたし、
ツタンカーメンの墓からはちみつが発見されたことは有名な話です。
日本ではいつ養蜂が始まったの?
日本書記の皇極2年(643年)のくだりに出てくる
「百済の太子余豊、蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」というのが、
日本の文献上で初めて養蜂に触れられたものです。
これは「百済の余豊が三輪山で養蜂を試みたが失敗した」という意味で、
これが日本における養蜂の始まりだとされています。
はちみつの広まり
あのクレオパトラも愛用!?
はちみつはその80%が糖分でできており、人類が初めて使用した甘味料と言われています。
一匹のはちみつから生涯取れるはちみつは微量であったため大変貴重なものであり、
古代エジプトでは、特権階級のみはちみつを食すことが許され、さらに税金もかけられていました。
また食用だけでなく薬用や美容品としても使用されており、世界三大美女と名高いクレオパトラも、
肌のシミを取るためにはちみつを使っていたという伝説が残っています。
ハネムーンの語源ははちみつにあり!
ハネムーンの語源は何かご存知でしょうか?それははちみつからできたはちみつ酒と密接な関係があります。
古代から中世にかけてのヨーロッパでは、結婚してから一か月間、新郎新婦は外出をせず、
新郎が精力増強剤として知られたはちみつ酒を飲んで子作りに励みました。
うーん、すごいですね~!それは蜜蜂の多産にもあやかり、広く一般市民に知れ渡っていったのです。
日本でのはちみつの広まり
日本においても、奈良時代に三韓などから貢物として献上されていますし、
平安時代にも蜜を献上していたという記録が残されています。
また紫式部著の「光源氏」にもはちみつで香を練っていたという記載があり、
貴族に重宝されていたことが伺えます。
日本で養蜂が本格的に行われるようになったのは江戸時代からで、
蜜蜂の生体や養蜂技術に関する本などが広く出版されるようになりました。
はちみつはとても身近な食品ですが、意外とその歴史は知られていないものです。
山口県の天然純粋はちみつの生産・販売店 株式会社ときつ養蜂園
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業務内容:はちみつの生産・販売